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うまい訳にはわけがある?―翻訳プロセス研究のいろいろ

上手な訳を見ると、なんでこんなうまい訳ができるんだろうと、思うことがありますよね。「神業」なんて称されることもしばしば。でも、上手な訳が魔法みたいに次から次へと出てくるわけではありません。じゃあどうやって生み出されるのか。そんなことを研究する「翻訳プロセス」と呼ばれる研究分野があります。

翻訳プロセスとは

翻訳プロセスとは「起点テクスト(原文)をもとに目標テクスト(訳文)を産出するときの翻訳者の認知活動のこと」です。簡単に言えば、翻訳者が訳すときに何を考えて、どんな行動をしているのかの過程です。ヤコブソン(Jakobsen, 2002)によれば、そのプロセスは大きく3つのフェーズに分けられるそう。

翻訳の3つのフェーズ(ヤコブソン 2002)
Orientation 原文の理解やそのための調査を行うフェーズ
Drafting 実際に訳出作業を行うフェーズ
Revision できた訳文の修正・調査・校正を行うフェーズ

翻訳者はまず、訳する前に原文理解と前準備のサーチを行います。そのあと訳出を始めて、終われば間違いがないかどうか見直し、修正して完成させる、という流れです。Revisionにおける修正は、Draftingのフェーズで行う、訳出直後のモニタリングによるそれとは別のものを指している、という点には注意です。

どうやってプロセスをのぞくのか?

このような翻訳プロセスはどうやって解き明かされるのでしょう。頭の中は「ブラックボックス」なんて言われているように、認知プロセスそのものを直接観察することはできません。そこで、翻訳プロセス研究では、様々な手法でデータ収集をしています。少し、見てみましょう。

内観法

1つの手法は、認知心理学などを参考にした内観法です。思考発話法=Think-aloud protocol(TAP)はその中でも初期のころからよく用いられ、翻訳者は訳出中に頭に浮かんだことをすべて報告して、そこから得た言語データをもとに分析します。
TAPだけでなく、回顧法=retrospectionと呼ばれる手法もあります。訳出のあとに口頭報告を行い、データを収集・分析します。回顧法は、翻訳者に自分の訳出プロセスを思い出してもらうために、記憶の刺激になるもの(e.g. 作成した訳文など)を用いて行われます。

コンピュータ・ロギング・ソフトウェアを用いた手法

内観法のような言語報告で収集されるデータは、どちらかと言えば質的なデータですが、PC上での動きのデータを記録する量的なデータ収集法もあります。キーボード入力やマウスの動き、テクスト上の削除・変更やポーズの長さを、時間を含めて正確に記録・画面上に再現し、分析に使用できます。Translogなどは、それに代表されるソフトウェアです。
他にもスクリーンレコーディングで画面上の動きを記録したり、最近だとアイ・トラッキングで翻訳者の目の動きや瞳孔の拡張を見ることもできるようになっています。
ロギング・データの画面再現や、スクリーンレコーディングのデータは、分析だけでなく、回顧法の”刺激”として使用することもできます。

このようにして収集したデータは、訳出の背景にある認知プロセスを知る上で重要な手がかりとなる、と考えられています。実際に、上記のような手法を用いた研究で、例えば、経験のある被験者は浅い被験者よりも長いセグメントを処理できること(Englund Dimitrova, 2005; Jakobsen, 2008)や、プロ翻訳者ほど言語内翻訳(目標テクストのパレフレージング)・Revisionのフェーズ重きをおくこと(Yamada, 2009など)、Webでのサーチスタイルは翻訳(学習)者のサーチ能力によって異なること(Enríquez, 2011) などがわかっています(これは極々一部。他にも多数存在)。筆者が行った実験では、翻訳(学習)者は原文内容を理解しているにもかかわらず誤訳してしまうことがわかりました(Onishi et al., 2017)。

何の役に立つんだろう?

翻訳プロセスが解明されることにはなんの意味があるでしょう。例えば、翻訳教育に、機械翻訳の発展に、役立つかもしれません。筆者は、翻訳者として必要な能力=翻訳(者)コンピテンスの涵養に関心があり、プロセスを分析することは、「人が翻訳をする意味」や「人の翻訳との関わり方」の理解につながると考えています。テクノロジーの発展とともに、わかることも多くなっていて、これからますます楽しみな分野ではないでしょうか。

まとめ

  • プロセスには3つのフェーズが存在する。
  • 研究方法として、質的な内観法、量的なロギング・データの収集法がある。
  • 訳出の背景にある認知プロセスを知る、重要な手がかりとなる。

Nanami

上記で触れた研究の例は、今後の記事で紹介したいなと思います!お楽しみに〜
Reference
  • Englund Dimitrova, B. (2005). Expertise and explicitation in the translation process. Amsterdam/Philadelphia: John Benjamins.
  • Enríquez Raído, V. (2011). Developing web searching skills in translator training. Redit, numero 6. 60-80.
  • Jakobsen, A. (2002). Logging target text production with Translog. In G. Hansen (Ed.), Probing the Process in Translation: Methods and Results. Copenhagen Studies in Language, 24. (pp. 9-20) Samfundslitteratur: Copenhagen.
  • Onishi, N, Yamada, M, Fujita, A and Kageura, K (2017). Causes of Mistranslations made by Student Translators: Investigation into X3 in the MNH-TT Revision Category through Retrospective Interviews. Invitation to Interpreting and Translation Studies, 18, 88-106.
  • Yamada, M. (2010). A study of the translation process through translators’ interim products. Interpreting and Translation Studies (9), pp.159-pp.176.
  • 石塚浩之編.(2017). 『通訳翻訳研究ハンドブック : HTS日本語翻訳プロジェクト活動記録』.

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