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さらなる学びを求めて―ワカテ翻訳のポリシー

こんにちは!代表の平岡ゆうすけ(@hyusuke0509)です。

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機械翻訳の可能性と限界を探る―平岡裕資のプロフィール

2018年の今年4月の記事『ワカテ翻訳、始動!』から、およそ9ヶ月経ちました。
ワカテ翻訳、始動!

この9ヶ月間、様々なことがあり、挙げだすとキリがないほどです。特に、筆者は今年度から晴れて大学院生になったので、通う場所は同じでありつつも、すべきことや関わる人がガラリと変わり、軽い五月病のような気分でした。しかし、当サイトの活動は短くても三年は続けるつもりだったので、研究とうまく折り合いをつけながら、気長にのんびりやっています。

さて、今回のブログはなにかというと、ワカテ翻訳の運営方針がおおきく(自分の中では)変更したことについてです。上のブログを見ても分かる通り、当初の目的はサイトによる翻訳学の共有と、若手同士の交流という、ものすごくふんわりしたものでした。この思いを軸に、この9ヶ月過ごしてきたわけですが、様々な物事を学び、試行錯誤の活動を繰り返すなかで、その目的がより明確になってきたように思えます。こう考えると、大きな変更というよりも、よりフォーカスしたものになってきたという方が正確かもしれません。

ワカテ翻訳の目的と活動は、当サイトの『ワカテ翻訳とは?』と『ワカテミートアップ』に軽く目を通してもらうとして、今回はその背景にある考えを簡単にまとめていきたいと思います。まずはじめに、学問の宣言的知識と手続き的知識について、2つ目はこれに関連した、実際のワカテ翻訳の活動についてです。

学問とは

これまで研究を軸にした学問を続けてきたなかで、わからないなりに、学問とはどういったものなのかが垣間見れた気がします。まず、学問とは単純に知識のみをかき集めることではありません。そういったつまらないことはコンピューターに任せてしまったほうがよいでしょう。むしろ、どれだけ「勉強」をしたとしても、生身の人間が知識の量でAIには勝てません1)実際には、真であるか偽であるかなど、情報の「信頼性」も絡みますが、ここでは置いておきます。

では、なぜ知識を得るのか。それは特定の問題を解くヒントとなりえるからです。つまり、知識を得ることが目的ではなく、知識を得たうえで、どのような問題をどのように答えるのか、それが学問なのです。ここに、高校と大学における学問の違いがあるわけです。

この知識とは、つまり、その問題に関連したものである必要があります2)筆者は、そもそも学問がすべて繋がっていると考えているわけですが、その程度は確かに存在するとも思っています。といいつつも、つい最近まで知識を獲得することに躍起になっていたわけですが…

宣言的知識と手続き的知識

そして、知識には宣言的知識と手続き的知識があります。

簡単にいうと、宣言的知識とは、言葉で表現できるような知識のことで、手続き的知識は実際に体感することで得られる知識のことをいいます。

これはスポーツ、例えばバスケットボールに当てはめるとわかりやすいかもしれません(筆者はバスケットボールをしていたので、少しは詳しいのです)。シュートは利き手をリングに向けて地面と垂直に、もう一方の手はボールに添えます。このような正しいフォームに関する知識を、おそらく初心者は経験者による解説という「言葉」によって獲得します。しかし、実際にシュートを決められるようにはなりません(なる人もいます。そこがスポーツと学問の違いかも?)。何度も自分で練習して、正しいフォームを半無意識的にできるようにするでしょう。このフォームの解説を宣伝的知識、練習によって得られた実際のフォームを手続き的知識に分類できます。

学問における2つの知識

これは学問においても同様であると筆者は考えます。

つまり、文献などは宣言的知識に当たるわけですが、その知識のみで学問いわば研究が成り立っているわけではありません。研究とは(半人前の筆者は特にですが)得た知識をもとにして、迷い、揺らぎ、時には頭を抱えながら、ある問いを生み出し、それをしっかりとした方法論で検証し、また問いを生み出す。

このプロセスにおいて体感できる学問も研究をやった人のみぞ知る、手続き的知識なわけです。この体感こそ、研究の源になると筆者は信じています。というのも、これまで研究を行ってきたわけですが、研究の本質は問い、つまりリサーチクエスチョンであることに気づいたからです。この問いは宣言的知識のみで得られるものではなく、上記のような体感を介して生み出すことができるのです。

そして、そのような体感は他者と関わることを指します。ゆえに、学問は関わる人々によって幾分変わってきます。指導教官と院生の関係性が良い例かもしれません。そこで大事なのが、異なる考えを持つ参加者が素直な議論ができる場なのです(学際性については稿を改めましょう)。

これからのワカテ翻訳

上記のことを踏まえて、『ワカテ翻訳』という翻訳学メディアを、宣言的知識と手続き的知識の両方の観点から学ぶことのできる場にしたいと思いました。具体的には、宣言的知識としての『翻訳のいろは』記事執筆と手続き的知識としての『ワカテミートアップ』です。

翻訳のいろは

翻訳学に関する文献はたくさんあります。筆者も当然ながらすべてを網羅できていません。しかしながら、それらの多くは専門外の人には少し読みにくいものです。そこで、ワカテ翻訳では、翻訳学を専門とするライターがより読みやすいような記事を介して、翻訳学の情報を発信します。ここに学際性を持ち込んでも面白いかもしれません3)進出の学問分野である翻訳通訳学は、その方法論を他分野から応用して研究がされることが多いため、学際性と結びつきやすい側面もあるかもしれません。。ライターの多くは院生であるため、専門性は低いながらも、学びゆく過程にある者こそが生み出せる、両方の視点を併せ持った記事を提供できることを目指します。これは読者からは宣伝的知識に分類できますが、ライターからすれば、知識を整理するわけですから、手続き的知識になるともいえます。

ワカテミートアップ

もう一方の手続き的知識の獲得を目指すのが、『ワカテミートアップ』です。ここでは、ある問いに対して参加者がそれぞれの答えを持ち寄り、発表し、その後に答えを目指したディスカッションを行います。ミートアップ終了後にそのアーカイブ記事を執筆する期間を設け、その対話を可視化するとともに、それぞれのメンバーが議論を介して抱いた問いをまとめます。ただ議論を行うだけでは、つまらないので、このように記事としてアーカイブ化することで周囲に発信し、さらなる横と縦のつながりを築くこと、そして各々が新たな価値のある問いを見つけることを目指し、これらを一定の目に見える成果として捉えます。

これからを見据えて

4月の構想と比べて、かなり明確になってきたと思う反面、これが実現可能かどうかといわれれば、やってみるしかないでしょ!としか言えません。ただ、同じ熱意を持って一緒に動くことのできる人が、もっといれば、それが可能になるのかも。筆者がこうやって発信するのも、それが理由です(頭を整理するというのもありますが)。以上、近況と運営方針をだらだらと連ねるブログでした。では!

References

1 実際には、真であるか偽であるかなど、情報の「信頼性」も絡みますが、ここでは置いておきます。
2 筆者は、そもそも学問がすべて繋がっていると考えているわけですが、その程度は確かに存在するとも思っています。といいつつも、つい最近まで知識を獲得することに躍起になっていたわけですが…
3 進出の学問分野である翻訳通訳学は、その方法論を他分野から応用して研究がされることが多いため、学際性と結びつきやすい側面もあるかもしれません。

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